生ききる

生ききるという言葉はかつての流行語であった。

同感である。何回も死を見つめる病気をした、そのたびにそれなりの覚悟と、生きることへの葛藤はあった。81才で木から落ち骨折。薄れ行く意識の中で、死を体感した。こうして人間は突然死ぬのかと思った。これもよし。実感である。 

 

命を取り留めた、81才自他共に再生は不可能と思った。悔しかった、車椅子の人生などいらない。リハビリの先生は復帰できるとはげましてくれる。復帰へ並でない意志の強さを実行した人をイメージした、やってやれないことはない。人の三倍努力することを己への義務とした。文字どおりの最後の貴重な人生である。痛かった、苦しかった、しかし確実な再生への努力の末、よみがえった。

 

生ききる。なんと素晴らしい言葉であろう。常でも数年と限られた命、確実に死を目前とした日々、無為に過ごすことはできない。茶道へ求道への意欲が出た。家事をするだけの人生はもったいない、やっとプロとしての責任と強さが出た。家族は少し迷惑そうである。せっかく生き返ったのだから、限りがあるのだから、ゴメン。

 

長年の夢であった茶室の改造を決行した。変則の台目ながら小間の醍醐味あうことができる、茶室へ座る時の幸せと厳しさを体感する。茶人としてこんな幸せなことはない、矛盾と忙しさは倍加する。これも生きるしるし、意欲的に明日への実践をおこなう。 

 

東京への一人旅、春の旅行会二人で参加を決意。今後主人と共に何処へでも行こう。 

美しいものは美しく、おいしいものはおいしく、幸せを味あう。 

無事に初釜の行事を済ませ、二月大炉、三月釣り釜、四月スキ木釜、行事山積である。 

「利久にたずねよ」最近読んだヒット作である。溺女たる愛と、美への追求、生涯をかける反骨の精神、素晴らしかった。限りある命に乾杯の心境である。 

我が家から眺めるタ日は素晴らしい。真っ赤な太陽が黙って没する夏、茜色に衣を替えて壮大なる交響曲を奏でる秋。横なぐりの吹雪の中雲間に薄明かりを見せる冬。

虹色に暮れなずむ紫の序曲、春。タ暮れの光の中で。

 

生きていてよかった。

 

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