癌の宣告

平和な夏の朝、夫は行くぞと声を掛けた。今日は癌の検診の日だと、私なんともないからパス、 夫のとがった声。「年に一回の検診をパスとは何事だ」会社を退いた夫は市の検診を始めて受ける、 私の分も申し込んであった。渋り渋りついていった64才、57kg、最高に元気、何の兆候も無い。 忘れた頃再検通知が来た。三津子!「エ!?私!ポリープが胃の中に?」一瞬驚いたものの、ワッカを かけて焼けばナンノコトハナイ!と勝手にきめ、再検へ、胃カメラを飲んでください。ハアー。即入院、検査が始まった。胃カメラをも覗いていた医師団 「オッ!」と声が上がった。悪い予感。 

大嶋先生は直ぐに眼を見て、「胃癌の恐れ五分の三です。切りましょう。よくなります!」一瞬のたじろきはあったが、医師がはっきりと言葉に出すのだから、手遅れデハ無いはずと思い定めた。半生が走馬灯のように駆け巡った。眠れなかった。まだ死ねない。死たく無い。ひたすらに家を守り、夫と子育てにすべてをかけ自分を主張する余裕はなかった。死にたくない!まだ死ねない!(その頃癌の生存率三年の下馬評) 

 

 

死に支度

強がっていても癌と宣告され、一応の支度はしなければならない、転勤の無い生活 に馴れがらくたが山積していた。飛ぶ鳥後を濁さずの故事を思いつつ家の整理に力を注いだ。兄 も来て心が落ち着き、何にもすることがなくなった。明日は家を出る。もし生還する事が出来るな ら…習字の道具を出し、祈りつつ書いた・ 日女是好日懇心のカを込めて、10枚も書いた頃疲労困懲のまま眠った。 

午前中は絶食のまま検査、検査。若いDRが入れ替わりに来て、ご飯が詰まりませんか、物がすんなり通りますか。 何?私ってそんなに悪いの?真性胃癌の一種・その頃日々悪くなる実感がした。夜8時ひょこっと現れた大嶋先生、何をしているの?書を見て、「僕にも書いてよ」と。嬉しかった! 

 

手術は胃全摘、胆嚢カット。外科の明るい光の中で目覚めた。生きている!隣のベッドより、いびきの轟音が聞こえる。 夫だ!余裕が無かった。手の傍にあったオムツを投げた、力なく落ちた。看護婦が来ておちたおむつをひろい夫の体に触れた、瞬間いびきはとまった。ほっとする間もなく轟音は始まった。後で聞けば、心配の余り、付き添いは自分がと名乗った由、68才の身にこたえたに違いない。

  

肝炎、そして癌の克服へ

術後一週間以前にひどい肝炎を患ったことがある。あのときの苦しさを思えば外科の治癒 は時間がクスリ、一週間待ち遠しかった。ある時のどが痛い、気がつけば枕をはずし寝ている。 幽門も噴門も無い、頭を低くすれば消化液が逆流して食道を消化してしまう、こりた、一週間目腸の開通を確認の為試薬を飲む、薬を吹き上げた、傷ロがはれて通らない、ダメダ! 絶飲食一週間は限界である。九日目ガリガリと自分が自分を食む音がきこえるような気がした。 気力、体力の限界ここまでかと考えるようになった。命を刻む時間は長い、時々に一生懸命であつた。いつも誰かに保護され守られてきた幸せであった。しかし何か燃焼しきれない物がある。 

限界がきた。夜8時院長の山崎先生が見えた、小声で医者がこんな事を言ったらおかしいけど、そっとお湯を一匙飲んでごらん、静かに去られた。恐る恐る飲んだ一匙のお湯通った!甘露 世の中にこんなに美味な物があったとはニ時間経過、今一匙のお湯を飲んでみた。通った、全身にしみわたり細胞のなる音がした。安らかに眠った。朝、担当の村田先生に報告した。じつと聞いていた先生は、よし今日から重湯だ!言葉では現せない感動だった。

 

お見舞いに来た同級生の敦ちゃん、ベッドを覗き込み不審顔で出て行こうとした、敦ちゃん! 

叫んだ!ミッコチャン!唯手を握り泣いた。少し気が楽になった。 

 

三年生きられたらと願うように思った。お茶の勉強をしよう。本気でこの道たどりたい、命にご縁 が出来たら家元講習を受けよう。願った。一年経過、教室に戻った。

 

食のカはすごい、重湯が粥になり、一日一日が薄紙をはぐようである。すべてがカット、安静と、わずかの食事だけ。

 

それでも有難く生きている実感に、世の中が明るくなった。 

 

癌を患ったのが64歳。2021年現在93歳である。